進退窮まった同人作家の雑記

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清少納言と紫式部 ~宮中古典文学に見る日本人の感性~(Part4)

つづき
Part1 Part2 Part3
ここまで清少納言と紫式部について書いてきましたが、実はそもそも2人に面識はないと見る説が一般的だったりします
なぜかというと
清少納言が使えた中宮定子の後釜の中宮彰子に使えたのが紫式部であるわけですが
定子は中宮位剥奪後まもなく死んでしまっているので
紫式部が宮中に入る頃に清少納言は宮中を去っている可能性が高く、要するに入れ替わりだと
そして清少納言が紫式部についての記述を全く残していないとの理由
他にもこの説を裏付ける根拠があるのかもしれないですけど
私は、2人、面識あったと思いますよ

中宮が入れ替わったのは事実だが、定子が死んだから清少納言が宮中を去る理由がない
アレです、武士じゃありませんから
普通に他の誰かに仕えて宮中に残った可能性もあるはずです
本人が書いてないだけで=3
定子に仕えてた頃よりは※ときめいたものではないでしょうが、清少納言だって貴族ですから何らかの形で宮中にとどまったはず(※ときめく≒寵愛を受ける,隆盛である,人生のピーク)
仮に宮中を去っていたとしても、プログラム的に定子→彰子に書き換わったわけではないのでブッキングしている時期が多少なりともあるはずなのです
紫式部について言及していないのは、文献が残っていないか、これまた書いていないだけなんじゃないか、むしろこっちの方が可能性高い
それに清少納言も紫式部も当時から結構な有名人ですから
狭い宮中において、紫式部が清少納言を知っていて、その逆がないとは考えられませんし
Part1で述べたような、紫式部の清少納言批判に見られるような細かな描写にいたっては
本人を知らなきゃかけないようなものですよ
面識のない人物をあそこまでコケおろせませんって=3

枕草子の半分、またはそのほとんどが定子没落もしくは死後
清少納言の回想であるといわれています
それはおそらく正解
定子早死にすぎますもん
そして定子死後の清少納言についてはやはりほとんど文献に記述がなく、その後どうなったのかは不明
紫式部が予見したとおり不幸だったんじゃないか、と見る説が一般的
もしかしたら紫式部は清少納言の不幸になるさまを見てあんなことを書いたのかもしれない
宮中にいなくなったからこそあんな悪口書けたのかもしれないね
当時、宮中からいなくなることは彼女たちから見れば死んだも同然でしょうし
なんて性格悪いのかしら=3

と、まぁここまで長々と書いてきましたが
私の書く文章ってのは内容が偏ってますので、あまつさえ間違った記述もあるかと思います
それこそ、紫式部に言わせれば
「したり顔にていみじうはべりける人」なわけです

生まれ変わりだからしょうがないよ=3(Part3参照)

終わり。

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清少納言と紫式部 ~宮中古典文学に見る日本人の感性~(Part3)

つづきです
Part1 Part2
なになに、いずみちゃん紫式部の方が好きなんじゃないかって?
紫式部タソ嫌いじゃないですよ
きっとね、清少納言も嫌いじゃなかったと思いますよ
生まれ変わりだからわかる(うひ
一方的に嫌われてたけどね=3
アレです
清少納言好きな人はみんな自分は清少納言の生まれ変わりだと思ってますよ
というわけで今回はみんなさんがそう思っちゃうほどの清少納言の感性について触れて見たいと思います

枕草子の内容というものは、源氏物語と違ってとても身近なものなのです
よく高尚な古典文学と思われがちですが、こんなものは文学でもなんでもないわけですよ
確かに、当時の貴族生活を知る上で大変貴重な文献であることに違いはないが文学ではない
日記ですもん
いまで言うブログの走りみたいなもんです

『うつくしきもの』の段なんか悶絶ものですよ(うつくし≒かわいい)

~前略・・・二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来るみちに、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし。・・・後略~

口語訳

2~3歳の幼児が、せわしなく這って来る途中の道で、なんだかちっちゃいゴミみたいなのを目ざとく見つけて、すんごいちっちゃくてかわゆい指で捕まえて、大人とかに自慢したりしてるw かわゆす!

文学・・・><
実際こんな感じです
これをね、わざわざ「大変趣深い指で捕らえ、大人などに見せるのが大変愛らしい」
なんて訳す訳者はセンスないよ
口語訳ってのは口語ですから
当時の作者になりきって書かなきゃダメ
清少納言は『をかし』を多用する人なので、枕草子は"をかしの文学"なんていわれてますが
『をかし』って言うのは厳密に意味がある言葉ではないのです
趣深いっちゃあ趣深いってことですけども
現代語でいうなら、どちらかというと「カワイー!」とか「萌ゆるす!」とかそんな意味で捉えたほうがしっくりくる言葉なのです
『いと』も多用してますがこれも『超』とかそんな意味合いでつかってます=3
そもそも清少納言は1000年後の受験生を苦しめるためにこんなものを書いたわけではないのですから
一娯楽として当時の読者(主に定子やその周辺の女房)を楽しませるために書いたものであって
現代で言う人気ブログのひとつみたいな括りで捕らえた方がよいのです

そもそも私は清少納言が偉人だとは思ってませんし
たまたま地位的に当時貴重な紙を使える立場にあった教養のある人物が、たまたまちょっと面白い人だったってだけなんですよね

そこに冒頭にも書いた、"自称、清少納言の生まれ変わり"が多発する所以だと思うのです

Part4に続く

清少納言と紫式部 ~宮中古典文学に見る日本人の感性~(Part2)

続きです
Part1
そんな人間くさい清少納言ですが
今回は紫式部の源氏物語について書きます

源氏物語というか末摘花ですね
源氏物語の内容については詳しく書きませんが、作中唯一のブサイ娘キャラである末摘花は大変興味深い
末摘花は没落した姫君であり、大変な才女であるという設定だが
容姿が当時の基準からして最悪の部類であり、一途で頑固で古風でダサダサという極めてキワモノキャラなわけですが
スーパースターである源氏にひょんなことから見初められる(?)
といったストーリーに当時の読者である女房たちが嬉々として熱狂したわけです
おそらく末摘花はひとつのエピソードに過ぎなかったと思われるが
読者からの人気が強かったため、再度登場を果たし、なんだかんだいって源氏の寵愛(?)をうけ、幸せな人生を過ごした稀なキャラである
ではなぜ女房たちは末摘花のストーリーに熱狂したのか?
それは単純に
「地位も名誉もない一人のブサイ娘が一途に源氏を思い続け、結果幸せになる」というシンデレラストーリーが受けたからであろうか

女房たちはいずれも才色兼備を求められた職業であるが
やはり彼女たちも人間ですから、末摘花ほどブサイ娘じゃないにしてもリアル姫君と比べればやはりコンプレックスはあったと思うのです
そんな自分たちに近い存在である末摘花が絶世の美男子にもらわれていくといったシンデレラストーリーに胸をときめかせたにちがいないと思うのです
わかるよ、うん
1000年前だろうがなんだろうが
女性たちの心理、感性は普遍なものだなぁと感じさせてくれるわけです
1000年経ってもやっぱり女性たちはこういったシンデレラストーリーを求めて同人誌を買いあさってはキュンキュンするわけです(偏見=3)

んではなぜ紫式部は末摘花なるキワモノキャラを生み出したのか
それはやっぱり自己の投影なのか?
紫式部タソは絶世の美女ではないにしても結構かわいかったと思いますよ
でもそこはホラ
世界初のオタク娘であるわけですから
こういうキュンキュンストーリー妄想させたら強いわけですよ
源氏物語の登場人物はどれをとっても美男美女ばかりですから、こういうちょっと変則的なお話もあっていいと思ったんじゃないですかね
結果、大いに受けたし全体的にお堅い作風において数少ない笑いを提供してくれる名エピソードとして評価されてるわけです
さすがですよ

まぁアレです
いつの時代もオタク娘ちゃんはかわゆいのです=3

Part3に続く

清少納言と紫式部 ~宮中古典文学に見る日本人の感性~(Part1)

アレです
昔から日記に書いてますように、古典(特に枕草子)が好きな私ですが
今回は数回に分けて宮中古典文学の面白さを書いてみたいと思います
まぁ主に清少納言についてですが
まず清少納言を身近に感じてもらう上で当時の舞台背景を詳しく知っておく必要があります

清少納言が生きた時代は一条天皇の治世にあたる時代なわけですが
清少納言が仕えていたのが中宮定子(藤原道隆の娘)
当時の中宮というのは天皇の正妻という意味です
ちょうどこの時代、日本史に名を轟かせる一人の怪物が登場するわけです
『この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』で有名な藤原道長ですよ
定子の実兄にあたる伊周、隆家がですよ、道長の策略にまんまとはまって道隆一家は没落
定子も中宮という地位を剥奪されるわけです(表向きには皇后となり位が上がる)
んで変わりに中宮の座についたのが道長の娘である彰子
その中宮彰子に仕えたのが紫式部です
このような背景からみても清少納言と紫式部の仲が悪いのはおのずと頷けるわけです

紫式部はどのような人物であったかというと
控えめでおとなしい性格であったといわれています
幼い頃に親を亡くし、困窮を極めていたはずだが、中宮つきの女房にまで上り詰めたのは道長に源氏物語を認められたからだということになってますが、道長の愛人だったという説もあります
んで
清少納言はどのような人物であったかというとですね
そのおとなしくて控えめな紫式部タソをして

『清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれば え心になりぬる人は いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみをかしきことも見過ぐさぬほどに おのづからさるまてあだなるさまにもなるにはべるべし そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ』

と、まで言わしめるほどの人物であったわけです

口語訳
『清少納言はとにかく得意げにふるまう嫌な女で、利巧ぶって漢字を書き散らし(※当時、漢字は男文字とされ、漢字を書ける女性は少なかった、もちろん紫式部は書ける)てはいるけどよく見ると間違いだらけで十分な知識があるとはいえない。このように自分は特別なんだとひけらかすような人は、いずれボロをだすに決まってるし、また風流気取りでわかった風にふるまってる人は然るべき時に然るべき態度をとれないから信用できない、そんな清少納言の将来が良い方向に向かうことがあるだろうか?いや、ないw』

こんな感じですかね
なんか自分のこと言われてるみたいでへこみます=3
私もよく『いずみちゃんこそしたり顔にいみじうはべりける人』なんて影口叩かれたものですよ
他人とは思えないわけです
もう私、清少納言の生まれ変わりなんじゃないかと思うくらいシンクロしてしまうわけで
面白くないわけがない
したり顔にいみじうはべったっていいじゃない!
人間だもの

Part2につづく

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