進退窮まった同人作家の雑記

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因果応報

火のないところには煙は立たない
目に見える結果には必ず原因がある=因果なわけですが
これは大昔から現在に至るまで多くの人間がそうだと信じている"真理"である(正確には真理とはいわないけど)
夏暑くて冬寒いのは地軸の傾きによって日照時間の差があるからだとか
おなかがすくのは細胞が活動源として食物を物理的に消費してるからだとか
なかなか理にかなっているわけです
そこで大昔の人は、どうやらこれは真理だよと
なんだか不思議なあんなことやこんなことにも理由があるに違いないよと
いろいろと万物に理由を付け始めたわけです
主に不思議な現象に理由を求めたのが哲学や科学
主に理不尽な出来事に理由を求めたのが宗教なわけです
哲学も科学も宗教もスタート地点は同じだったんですね

因果応報とは仏教の用語ではあるけども
原始宗教には大体この因果というものを前提に組み立てられている節があるわけです
何故かというと
宗教(教え)を広めるためにはまずこの世とはどういうものかという前提を明確にしておいた方がわかりやすいからです
VB風に言うならば

Dim 前提 as この世の仕組み

を宣言する必要があったわけです
じゃあその"前提"には何を格納するかと
お釈迦様なんかは"因果"を格納させることで教えをわかりやすく表現したわけですね
因果応報の具体例と致しまして
今日、満員電車で私の目の前に2人分の席がちょうど空いたわけです
私の隣のおじさんは後ろにいたおばあさんに席を譲りました
そしてちょうど残ったのは私のまん前の席
私がそこに座るのは必然とも思えるわけですが、私はおばあさんに席を譲ったおじさんに座ってもらうことにしました
何故なら
おばあさんに席を譲ったおじさんには、同じだけの報いがあって然るべきであり
席を譲らず私が座っていたのならば、やはりそれと同じだけの報いが私のところにやってくるからです
あ、これは因果応報のたとえなので私はそんな熱心なブッディストというわけではないです

要するに良い事をしたら良い事が返ってくるという前者よりも
人々に後者の意識を持たせることで世の乱れを正そうとしたのが仏教なわけです
いわゆる、人が得られる幸福というものは絶対値として決まっているとする幸福量(こう呼ぶかは知らない)的考えも"因果"には含まれているわけです
なかなか画期的な考えだったわけですが、当時なりの矛盾というものがありました
お釈迦様おしゃか様、僕は生まれつき身分が低く、お父さんもおじいちゃんも絶対値としての幸福を得られたように思えません
これから先、僕のところにも幸福がやってくるとは思えません
なんていう少年がその時代ゴロゴロいたわけですね
そこで考えたのが"徳"とか"業"とか"輪廻"といった概念なわけです
いいかい坊や、君の一族は前世からの業を背負っているんだよと
業を払い徳を積むことで来世にはバラモン、クシャトリアだよと
そう言いくるめたわけですね(時代考証しる!とかつっこまないこと)
前提=因果+徳+業+輪廻
と宣言しなおして、矛盾(バグ)を取り払ったわけです
なんだかこう書くと仏教にけんか売ってるように思われるかもしれませんが
個人的に因果応報という考えは気に入ってるわけです

と、まぁここまでが前フリのつもりだったんですが
なんだか長文になってしまったので、気が向いたら続きはまた今度書きます=3