進退窮まった同人作家の雑記

お知らせ

このブログはただの日記帳になりました。
同人サークルいずみ学園の情報はこちらからどうぞ↓
ツイッター:https://twitter.com/school_izumi
サイト:http://izumigakuen.x.fc2.com/index.html
Pixiv:https://pixiv.me/schoolizumi

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

清少納言と紫式部 ~宮中古典文学に見る日本人の感性~(Part1)

アレです
昔から日記に書いてますように、古典(特に枕草子)が好きな私ですが
今回は数回に分けて宮中古典文学の面白さを書いてみたいと思います
まぁ主に清少納言についてですが
まず清少納言を身近に感じてもらう上で当時の舞台背景を詳しく知っておく必要があります

清少納言が生きた時代は一条天皇の治世にあたる時代なわけですが
清少納言が仕えていたのが中宮定子(藤原道隆の娘)
当時の中宮というのは天皇の正妻という意味です
ちょうどこの時代、日本史に名を轟かせる一人の怪物が登場するわけです
『この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』で有名な藤原道長ですよ
定子の実兄にあたる伊周、隆家がですよ、道長の策略にまんまとはまって道隆一家は没落
定子も中宮という地位を剥奪されるわけです(表向きには皇后となり位が上がる)
んで変わりに中宮の座についたのが道長の娘である彰子
その中宮彰子に仕えたのが紫式部です
このような背景からみても清少納言と紫式部の仲が悪いのはおのずと頷けるわけです

紫式部はどのような人物であったかというと
控えめでおとなしい性格であったといわれています
幼い頃に親を亡くし、困窮を極めていたはずだが、中宮つきの女房にまで上り詰めたのは道長に源氏物語を認められたからだということになってますが、道長の愛人だったという説もあります
んで
清少納言はどのような人物であったかというとですね
そのおとなしくて控えめな紫式部タソをして

『清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれば え心になりぬる人は いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみをかしきことも見過ぐさぬほどに おのづからさるまてあだなるさまにもなるにはべるべし そのあだになりぬる人の果て いかでかはよくはべらむ』

と、まで言わしめるほどの人物であったわけです

口語訳
『清少納言はとにかく得意げにふるまう嫌な女で、利巧ぶって漢字を書き散らし(※当時、漢字は男文字とされ、漢字を書ける女性は少なかった、もちろん紫式部は書ける)てはいるけどよく見ると間違いだらけで十分な知識があるとはいえない。このように自分は特別なんだとひけらかすような人は、いずれボロをだすに決まってるし、また風流気取りでわかった風にふるまってる人は然るべき時に然るべき態度をとれないから信用できない、そんな清少納言の将来が良い方向に向かうことがあるだろうか?いや、ないw』

こんな感じですかね
なんか自分のこと言われてるみたいでへこみます=3
私もよく『いずみちゃんこそしたり顔にいみじうはべりける人』なんて影口叩かれたものですよ
他人とは思えないわけです
もう私、清少納言の生まれ変わりなんじゃないかと思うくらいシンクロしてしまうわけで
面白くないわけがない
したり顔にいみじうはべったっていいじゃない!
人間だもの

Part2につづく

コメント

 今、日本語が乱れてイカンとか、よく言われてますが、現代人から見れば、紫式部なんてナニ書いてるのか、ほとんど分からないほど「乱れて」ますよ(笑)。
 逆に、式部から見れば、現代の教養人の国語も、乱れきっているんでしょうなぁ・・・。
>倉田さん
 言語ってのは日々進化していくものですから多少の乱れはしょうがないですね
 平安時代から、乱れに乱れた日本語が現代の国文法なわけですしね
 おそらく『ら抜き言葉』なんてのは10年後そういうくくり自体がなくなりそうな予感がします
?意味フ~!
>名無しさん
 申し訳ナス
  • URL
  • コメント
  • パスワード
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:http://schoolizumi.blog97.fc2.com/tb.php/132-abc774b0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。